合氣道あれこれ  〜のんびりと のほほんと あいきどう〜

      康心道場になる    〜名は体を表す〜


本部道場から正式に柿の実合氣道教室を「育心館合氣道 康心道場」と名乗ることを許されました。名が変わっても特に変わりません。 子供たちの笑い声で溢れる道場。柿の実幼稚園をお借りし様々な方の協力があって成立つ合氣道の道場。本当に感謝の気持ちで一杯です。 今年を一つの節目と考え「康心の気持ちを大事に」「忘れないように私自身に」「これからの時代の担い手のみんなに」と思い、道場名とさせて頂きました。 「健康」それは人生を生き、楽しむ中で当然の様に当たり前のこと。でも「健康」の2文字の中に隠れている、もう2文字をご存知でしょうか? それは「体と心」。健やかな体と康らかな心(やすらかな心)この二つの調和が取れていることが本当の健康であると思います。もしも、他者を認められない、 見下す、奢るといった負の気持ちで一杯の心だったら体の調子が良くても真の健康では無い。心が体を動かすことを信条とする合氣道だからこそ、他人を認める、 思いやる、気を配れる、当たり前のことを当たり前に行うことができる、康らかな心の持ち主を育てる道場でありたいと思い康心道場と名乗る事に致しました。 因みに育心館合氣道は苗字みたいなもの。合氣道も様々な流派や系統が在ります。私の先生が習った大本は氣の研究会。今の育心館はそこからの独立会派となっております。 合氣道は何流ですかと聞かれたら育心館合気道となるのです。「大本は氣の研です」というとわかる人にはわかって頂けるでしょう。

    自然に生きる   〜  ありの〜ままの〜すがた、、、。〜


私が合氣道で伝えていることは、世の中は理不尽で一杯という事。家では自由に出来るのに幼稚園に通えば、急に集団生活を求められる。弟や妹が生まれれば両親の愛を独り占めできなくなる。小学校高学年になれば急に勉強が難しくなる。中学に行けば急に先輩、後輩を意識させられる。高校生になれば自分の人生を決め始めなければならなくなる。 社会に出れば、あれやこれや自分が良い悪い問わずに頭を下げることも多くなる。立場、年齢、性別でも大小問わず理不尽なことは一杯あります。耐える、受け流す、叩き潰す、きっと色々な理不尽の対処法があると思います。技だけではなく気持ち、ピンチの時の考え方、瞬間の判断力、稽古の中でつたえています。良いことも悪いこともひっくるめて進む。気持ち一つ、考え方一つで受け止め方がずいぶん変わってくるものです。 だからこそ自然にありのまま生きる、どこぞの歌のようですがこれも立派な合氣道の一つ。

      中庸    〜ほどほどって大事〜


仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂いとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。何事も過ぎたるは猶お及ばざるが如く、善事いえども人に強いれば我儘となる。 ほどほどが大事、心のバランスの保ち方、偏らない、固執しない等の考え方を中庸と言います。合氣道も人生も対人関係だって中庸が大事。頭では理解していても日々の生活に生かせない。(耳が痛い&修行が足りないです、、、、。はい) 立ち方、構えの中でも中庸を基本としています。足の裏の土踏まずのチョイ前辺り(湧泉と言います)この辺りに体重を乗せて立つ、こうしておけば前後左右斜め、四方八方足が出しやすいとしています。他流派は違うかもしれませんし,他の武道や勝負がある武道でも考え方,などまちまちだったりしています。 力まず、いつでも臨機応変に動ける立ち方、考え方、合氣道らしいと言えるでしょう。人ごみの中を飄々とすり抜ける、おじさん達を見かけます。実は達人なのではないか? と街中でも思ってしまいます(笑)私自身も子ども達もつまらない事に固執しない、本当の中庸が身に付けばと思っています。

阿部先生ってこんな人

好きな落語:芝浜・時蕎麦・死神   怖いもの:まんじゅう

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